Vol.3の記録 その1

ハラさん、野田さんの音楽を知ったのはどちらが先だったか…
ハラさんの方は、王舟さんがライブのアンコールで「楽しい暮らし」をカバーしたのを聞いたのが初めての出会い。
いい曲やな~と印象に残っていてとりあえずアルバムを買ってみたら、何これめちゃくちゃ良いやんか!!!と衝撃を受けて引き続きハラさんについて調べてみるも、手がかりはブログ「着信アリーマイラブ」のみ。
d.hatena.ne.jp
どんどん遡って読む。コラムが面白くて、この人一体何なんだ…?と謎が深まるばかり。
興味が沸きすぎて自分の中でめちゃくちゃ盛り上がった末、初回のイベントの勢いのままに福岡にライブに来てくださいメールを送ってみるも、次のリリースのタイミングですかねえ、、という話になり、一旦そこで話はストップ。


野田さんの音楽と初めて出会ったのは阿佐ヶ谷のRojiでした。
その頃、ceroや片想いを好きになったことで俄然東京インディー界が気になっていた私。ミーハー心で訪れたRojiに野田さんのファーストアルバム「あの日のうた」が置いてあったのです。“あだち麗三郎プロデュース”の文字に、これは運命!と即購入したのでした。


ハラさんと野田さんのライブを見る機会もないまま時は過ぎ、再び友達とRojiに行ったら何とそこにハラさんと見汐さんと夏目さんが!!めちゃくちゃ緊張しつつも、「ライブのお願いをした福岡の者です」とご挨拶することができました。
その後、ハラさんのライブも初めてRojiで見ることになり、こうして振り返ってみるとRojiを起点にして事が起こっている感じがします。
野田さんの演奏を見たのは東京で行われた「伴瀬まつり」のゲストに出られていた時。確か1曲だけだったと思いますが凄く美しかった記憶があります。
この時はハラノダでアルバムが出るなんて知るよしもなかったのです…。


その後、ハラさんのアルバム、録音の話が一向に進んでないようだがどうなっているのかしら…と思っていたら、いきなりハラさん野田さんのアルバムが出る知らせが舞い込んできました。
これは二人で来てもらうチャンス到来!と早速連絡させていただき、日取りを決めさせてもらったのでした。


ここまで長すぎんか…。


ハラノダさん以外の出演者について。
アナミカズコさん、とんちピクルスさんに共演して欲しいな、ということは長い構想期間中に決めていました。
カズコさんには計画時点で予告をしていたこともあり、快諾していただきました。


とんちさんは、何度もライブを見ていたものの話しかけたりしたことはほとんどなく、どう誘おうかと思っていた矢先、フジロックへ向かう飛行機が一緒というミラクル発生。
その時は、ただ声をかけてフジの話をしただけだったのですが、そのあとgigiのライブに出られていた時に改めてお誘いすることができました。


そして魚座
それはイベントがいつ行われるかも全く決まっていない頃のことだった。
藤井さんが東京でハラさんと一緒のイベントに出ていて、ハラさんが来てくれるなら藤井さんに一緒に出て欲しいという話をしていました。
が、その後oonoさんのイベントで出演してもらったので、癒着感強いなぁどうしようかなぁと思っていたところ、ハラさん野田さんから、うっすらと「藤井さんもしくは魚座と一緒だったらいいなあ、、」という声が届いたのでお誘いしてみたらOKとのこと。魚座はスケジュール調整難しそうと勝手に思ってたので出てもらえることになって嬉しかったです。